□ 住宅設計の特別講義メモ

1. 最初の言い訳

 4月のある朝、会社についていつものようにメールをあけると「shintaro manabe」というメールが届いていた。 「えっ?今頃先生からなんだろう..」と思いつつ、何か「きっと試練に違いない」という確信めいたものが頭をよぎった。

「特別講議の依頼」

ホントに僕がやるのだろうかと自分に問いかけながら、「そういえば、去年は朝日先生やってたな...」。 なんかかっこいい響きではあるが、ちょっと考えればとんでもないことである。 なんて言ったって、この「僕」が話をするというのだから。

 

 先日、相模原の小ホールで相模原市主宰の「音楽の夕べ、なつかしのエレキサウンド」なるものにでることになった。 メインはもちろんベンチャーズバンド。 そして僕は前座の70年代のロックバンドのベースマンだった。 友人がやっていたバンドの助っ人ではあるが、20年振りのステージは結構よかった。

 1.スロウ ダウン

 2.プラウド メアリー

 3.雨を見たかい

 4.バッヂ

 5.クロスロード

 6.ホンキ− トンク ウィメン

 7.アンジー

 8.スタンド バイ ミー

 9.ブルー スエード シューズ

 

 CCR、ローリングストーンズ、エリッククラプトン、ジョンレノンのカバーバージョン、エルビスプレスリーなど、なつかしいと思う人もいれば全く知らないという人もいるだろうが、楽しいものだった。 圧巻はなんといってもベンチャーズバンド。 40代のおじさん達が、30年も前にインプットされたデーターを格好までまねてやるのだから凄いエネルギー、執念。 「そんなにベンチャーズって良いかな−」なんてお首にも出してはいけない。 

そんな緊張感と、なりきり状態のままコンサートは続いて行った。

 

 20代はみんな、社会に出て何とか少しでも早く一人前になろうとがむしゃらにがんばってきた。 30代は少しばかり固まってきた足場を頼りに、それぞれが自分の方向性を模索してきた。 そして40代になると、自分の実力が見えてくるのと同時に集束点が見えだし、肩の力がすこしづつ抜けてくる。 そしてそれが、自然な人と人の付き合いの幅をひろげて行くのではないかと感じてきている。 

 若いころはマニュアル通りの設計をしていたように思う。 ある意味形から入って、それを押し切ってしまう若さと言うエネルギーがあった。 反面それは一方的で、押し付けがましいものであった可能性は否めない。 「家」を考える時、「家」を考えていたのである。

 今は建て主のことが考えられる。 その人の考え方、生活の仕方、夫婦のこと、親の事、子供の事、健康の事、お金の事...。 素直に考えると、自分が家を建てる年代の年回りになってしまったということなのかも知れない。 このような催しに、もちろん自分が好きだと言うことからはじまっているのだが、素直に参加できること。 それから、異業種、違う生活をしてきた人たちとも楽に話ができるとうことは、設計を考える時に手に入れたいもののひとつであることは、間違いがない。

 設計において僕が一番大事にしていることは、「いっしょに生活を考える。いっしょに生きるということを考える」ことだから。

 

 

2. 建築家の考える住宅設計と、庶民の住む住宅設計

 

 たとえば、GA JAPANの37号にいみじくも「住宅設計の現状」という特集がある。 その中に、佐藤さんが書かれた「量産されなかった工業化住宅」という記事が載っている。(p114~115) 

「 1. 部品集合体としての住宅」の中に書かれている住宅部品。 サイディングやフローリング、石膏ボード、ユニットバス、システムキッチンなど。 そして在来工法においてはプレカットの主流化。今、僕が造っている住宅でもまずスタンダードといっても過言ではない、当たり前のものである。 サッシにおいて、スタンダードはもちろんアルミサッシ。 今あなた方にサッシといわれて、木製サッシを連想する人がどれだけいるだろうか? 今や木製サッシは「高いもの」なのである。 アルミサッシもこの地域ではペアガラス、断熱サッシなどがディティールで選ばれるのではなく「値段」で選ばれている。 ここでも書かれているように、エンドユーザーの価値観と設計者の設計のための価値観は矛盾している。

ここの解釈は非常に重要である。 もしこのなかの誰かが設計者になったとすれば、このことはその人の価値観、さらには人間性にも言及してくるものだからである。

 もう少し引用させて頂くと、「2. 近代建築運動の企画書」のところで、建築家が設計する住宅といえば、パトロンの邸宅や別荘であり、基本的には一般の住宅は彼等の設計対象ではなかった、とある。

もともと庶民の住む住宅は、設計なんぞいりようのないものだったということである。 それが、近代建築運動が「庶民の住む住宅」を最重要テーマに掲げていたことにより、「安く良いものを造るにはどうしたらよいか」と流れが生まれ、住宅の工業化への歩みが始まったようである。 建築家がもつ価値観による「住宅」と庶民が住む「住宅」との違いはこんなところからも紐解くことができる。 そうしたとき、あなたがたは一概に「住宅の設計」といってもどこを目指すのかで、向かうものが違うと言うことに気が付くであろう。 ここが今、あなた方が考えなければならない「住宅の設計」の原点ではないだろうか。 すべての考えの源はここから始まる。

 そして時代が進歩を生み、蓄積をし、この両極とも思える二つの「住宅」は一本の線で結ばれている。 その価値観のラインのどこで勝負するかが、その人のスタンスになる。 もちろん「よい、わるい」ということではない。 自分が向かえる目標に焦点をあて、造り上げ、社会に貢献するということなのだから。

 

 あとの工業化についての考察はゆっくり読んで考えて、解らなかっら佐藤さんに聞いてください。

 

 「子供を作らない夫婦、シングルマザー、同性愛者のカップルなど、既成の生活像からは逸脱した人間関係を有し、それを成立させる生活環境を求める人々が出現しだしている。その一方で大勢を占めている既成の生活形態をとっている人々の場合でも、夫婦同権を法的に求めたり子供の不登校や家庭内暴力など、日本の住居環境には切実な問題が氾濫し出している。そんな中で、現代の建築家はどのようなスタンスで住居を設計し続けてきたのか。山積する切実な社会問題に対するオピニオンリーダーとして、先進的な住居形態を提案し続け、社会的な影響を与えているようにも思えない。つまり、現在の建築家が設計している住居は、総論的な先駆者として住居全体の問題をリードするというスタンスよりは、各論的な個別解を提案し続けているように感じる。」

 

 建築雑誌編集者の考える「住宅設計」への考えの一端である。 あなた方はこれをどう受け止めるだろうか。 

 建築学的見地からみると住まい手を特定せず、敷地も特定せず、考えを設計に託すといことのみで「住宅の設計」が成り立つ場合もある。 また、しっかりとオーナーがいて敷地が決まってその中で、「住宅の設計」がなされる場合もある。 

 「建築」という行為を現実性の上で捕らえるならば、後者が一般的な仕事の形態である。つまりオーナーの存在が大きなキーワードになってくる。 ここで編集者が定義しようとしている与条件は、オーナーの考え方、価値観、あえて言えば建築、住まいに対する理解力でかなり方向性が決まってくるということである。 もちろん言いなりになるということではない。 相手の事を理解した上で、何が必要で、何が有効で、何が受け入れられるべきことで、何が拒否されることなのか。 相手と付き合いながら紐解いて行くことが住宅の設計には要求される。 そこには設計者自身の「生きること」への全ての価値観が投影されることだろう。

 「解る人にはそれなりに、解らない人にもそれなりに」言い方が悪いのは御容赦願って、前向きに設計者のできることはこのことなのである。 

だから出会い、一期一会は大事にしたい。 そして自身もポテンシャルの高いものに努力する。 類は友を必ず呼ぶものだから。